アプリゲームも円熟期だよねという話

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2000~2010年あたりにMMORPGに狂っていた人にはそこそこ共感して貰えるんだろうかという気がしなくもない話。

この辺の話はTwitterで一生擦っているので正直何度目だよって感じではあるのだが、折角なので記事にでもしておこうと思った訳です。

アプリゲームと題したがむず痒いので以下ソシャゲと呼ぶ。

MobageやGree全盛期の(ハードウェア的に仕方ない側面もあったと思うしあれはあれで楽しんでいたので蔑視している訳ではないが)劣化CGIゲーム的な時代は過ぎ去った……というか、粗製乱造しても採算は取れないし容易に淘汰される時代になった。

気付けばリッチなグラフィックは前提となっているし、伴ってサウンドやテキストの質も向上して、悪魔の集金装置としか思えないようなガチャシステムが継承され続けている一方でゲームとしての”遊びごたえ”も確実に良質になっていると思う。

「それだけのリアルマネーを徴収しているのだからサービスの質が良くならなければ不味いだろ」という貧民特有の僻みはあるのだが、まぁそれは今回の話では置いておいて……。

僕自身はFF11や信長の野望OnlineのPS2参入コンシューマMMORPGに強烈なゲーム体験を植え付けられ、未だに最盛期のそれらのゲームの幻影を追ってしまっている。

一方で実際に最盛期の環境へ今自分の精神をタイムリープさせたとして案外娯楽で脳が麻痺した現代の感覚を持ち込むには色々と厳しいだろうなと思う自分も居る。

MMORPGは(それが凄まじく大きな要素であるとはいえ)人間関係を除けば無限にファームを繰り返しつつコンテンツに挑戦するゲームだと思うし、プレイヤーによってその強度や頻度や方向性の選択の幅が広いとはいえ本質的にはソシャゲで毎日こなしている”日課”とそう変わらないんだよなとも思う。

ソシャゲはどうしても性質上その”幅”を持たせるのが難しいという点はあると思うが、ゲーム単体で幅を持たせづらくともゲーム自体の種類が豊富なので必然自分に向いたタイトルを選択する余地もあるように思う。

リッチ方面で言ったら原神なんか本当にCS機やPCで遊ぶオープンワールドタイトルをスマホで遊べてしまうようなものだし……。

人間関係の妙味に関しては今やインゲームではなくsnsがあるのもなという感じ。

ゲーム外コミュニティとしては当時でもまぁ匿名掲示板なんかはあって、その板に対する帰属意識みたいなものもあったとは思うのだが、現代のsnsは個人の識別がより明確になっている分FF11で言うリンクシェルを外付けしているような感覚である。

軽めのコンテンツ複数で可処分時間を埋めるという形式は言ってしまえばビュッフェスタイルのようなもので、ゲームに伴う労苦を軽減しつつ快感を得やすくなっている……要するにコスパがいい。

伴ってコンテンツ(消費)は高速化している訳だけど、短時間で満足を得やすいのだから良いこと尽くめだろう。

ただ、クラシカルなMMORPGで流れているゆったりとした時間もまたスローライフとも言うべき貴重なもので、ある意味では都会人の「田舎やリゾートでゆっくりしてえ」といったようなバカンスの電脳版だとも思う。

(事実FF11なんかは頻繁にウェルカムバックキャンペーンで無料ログインが出来るし、それがきっかけになって1~2ヶ月集中して遊んで面倒になってきたらまた塩漬けのような付き合い方をしている。)

油断して軽く10時間以上プレイしてしまっても特に疲労感を得たりしないのが恐ろしい所で、現代の消費速度を考えると良くも悪くも間延びしている点で脳への負荷が低かったりはしそう。

基本無料タイトルだとクリックしたくなったらTalesWeaverなんかをこっそり遊んだりするし、スキル制MMOでキャラ育成したくなるとMaster of Epicで新キャラを作ってサムライになったりする。

後はまぁElonaを遊んだりとか。

そういう”古き良き”存在として現代でも残っている事は嬉しい一方で、まぁその認識自体が現代の作品とのギャップでもあるよなぁ……と思ったり。

(MoEやElonaはともかくFFやTWはかなりのテコ入れが入っていて現代風の仕様変更がかなり行われているが、元が大昔のゲームなのでやはり根幹は変わらない。)

現行世代の作品では国内だとFF14が堅調な一方で他タイトルは中々苦戦している訳だが、結局はユーザーの消費速度に耐えうるような開発/運営力を求めるとそもそもハードルが高すぎるんだろうなという感じ。

最近ではブループロトコルが色々と難航しているようで、NGSが苦戦しているのを見て上手い方策を用意出来るのだろうかと期待3割不安7割くらいで待っていたり。

NGSも土台は中々良くて、特にエフェクト周りの快感が凄まじくアクションRPGとしてPSO2よろしく簡単ながら”やってる”感を出せて良かったのだが……いかんせん全職育て終えてからの虚無感に負けてしまった。

ギガンティクス狩りの雷雨待ちなんかは賛否両論あったけど祭り感があって嫌いではなかったんだけどもね。

ソシャゲの話に戻るとそういう”アプデ待ち”の虚無感を軽減できるのが強いなと思う。

開発側にとっての負担は流石に比較すれば軽い傾向はあるだろうし、この辺はゲーム機のスペックが上がるにつれて小規模タイトルがインディーズに流れているのにも近い話ではあるかもしれない。

勿論昨今ではイラストに加えて3Dモデルも付随したりするのでソシャゲも開発コスト自体は上がっている筈だが、どちらかといえばゲーム機のスペックに追いつく開発コストが重すぎるのだろう。

イベントストーリーなんかも頻繁に増える訳だが、冷静に考えるとFF11で言う石夢やモグ祭りのような短編エピソードが短期間で無限に追加されていると思うとまぁ凄い。

感覚の話で言えば日課に掛ける時間が少なくて済むという事は”冷(醒)める”リスクが少ないという事でもあると思っている。

やはり纏まった時間を掛ければ掛ける程冷めるきっかけには遭遇しやすい訳だし、体験の圧縮は利点も多いのだろう。

(そう言っておきながら僕は原神の実装ペースに対して日課に掛ける時間が重くフェードアウトしてしまったりはしたのだが、あのゲームは規模的に最早やっている事がMMORPGみたいなものなのでその枠に入れても良いのかもしれない……。)

現状のソシャゲはもうスマホという媒体で出来る限界に近いゲーム体験まで迫っているんじゃないかという気もする。

買い切りで名作RPGのリメイクなんかも遊んだりできるし、小規模なシミュレーションゲームなんかも無数にある。

そこにカジュアルに遊べるMMO的な存在としてソシャゲが居るというのはコンシューマ機全盛期のオフラインゲームに対するオンラインゲームのような立ち位置だなと思っている。

ソシャゲ自体も運営のノウハウが積み重なっているし、ユーザー側の手軽に美味いものが喰いたいという欲求に対して提供側が答えているのも間違いないとは思うし、ここから次の革命的な形態が生まれるとしたらどうなるのだろうという事を考えてみたりもするが流石にそこまではまだ考えが纏まらない。

ソシャゲ礼賛みたいになってしまったし、語れば語るほどクラシカルなMMORPGはやっぱり厳しいんだろうな……という感想になってしまうが、諦めが付かないのもまた事実。

そういった体験に脳を焼かれた天才たちが次世代の作品でリバイバルさせてくれる事を祈るのが一番丸いのかもしれない。

20年くらい前には”携帯電話”でこんなに遊べるようになるとは思っていなかった訳だし、長生きできれば次の形態のゲームにも間違いなく狂うんだろうなという気もする。

伴って恐らく現行のアプリゲームを懐かしむ日も来るんだろうなぁ……。

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